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【試し読み】『台湾書店百年の物語』(自分の声を上げる時代(一九九〇年代))

『台湾書店百年の物語 書店から見える台湾』

編著:台湾書店独立文化協会

翻訳:フォルモサ書院(郭雅暉・永井一広)

より。

 

「自分の声を上げる時代(一九九〇年代)・女書店、晶晶書庫、洪雅書房」部分の本文を公開いたします。

該当頁:174~186

 

台湾書店 百年の物語〜書店から見える台湾

原題:台湾書店歴史漫歩

編著:台灣独立書店文化協會

翻訳:フォルモサ書院(郭雅暉・永井一広)

装画:花松あゆみ

装丁・組版:中村圭佑

出版:エイチアンドエスカンパニー(H.A.B)

本体価格:未定

判型:A5判変形(210☓135mm),256頁

デザイン:ソフト上製

ISBN:9784990759698 Cコード:0022

本体:2200円+税

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書店と社会は相互に影響し合いながら変化していく。一九一〇年代から二〇一〇年代まで。各年代の代表的な書店から描く台湾文化の百年史。

「現在のわたしたちにとって、将来どのような書店が出現するかを予想するのは難しいことだろう。しかし今まで存在していた、あるいは今でも存在している書店を歴史的な観点から眺めることで、書店、特に実店舗の書店が社会にどのような影響を与えているのか、私たちも読者も更に詳しく知ることができるはずだ。そして書店、特に独立書店は本の販売以外に、この社会にどんなものを創造できるのかについても!」(本文より)

本書目次

第一篇 日本統治時代の書店

一 近代的書店の黎明期

新高堂 瑞成書局 蘭記書局

二、文化協会時代(一九二〇年代)

文化書局、国際書局 中央書局 興文齋

三、飛躍する時代の書店(一九三〇年代)

鴻儒堂 大陸書店 日光堂(三民書局)

 

【地方書店漫遊一、高雄の独立書店についての思い出】

 

第二編 言論統制の時代

一、百万民族大移動の哀歌(一九四〇年代)

世界書局、商務印書館、正中書局、中華書局 大同書局 牯嶺街の露店古本屋

二、ゆっくり歩き出す時代(一九五〇年代)

三民書局 南方書局 周夢蝶の露店

三、海賊版王国となってしまった時代(一九六〇年代)

敦煌書局 文星書店 長榮書局(志文出版社)

 

【地方書店漫遊二、風が吹く軒で書物を広げて読めば、古き道が私の顔を照らしてくれる。台南中正路商圏書店系図】

 

 

第三篇 書籍業界が飛躍する時代

一、書籍業界の盛んな年代(一九七〇年代)

遠景出版社(飛頁書餐廳) 南天書局 書林書店

二、百花繚乱の日々(一九七〇年代)

重慶南路の書店街 山民書局(豐原三民書局) 光華商場の古本屋

三、消費時代の到来(一九八〇年代~)

金石堂文化廣場とその他のチェーン店 誠品書店 瓊林書苑、古今集成、讀書人文化廣場、田納西書店

 

【地方書店漫遊三、書店散歩 台南篇】

【地方書店漫遊四、書店散歩 嘉義篇】

 

第四篇 独立の声

一、独立書店の芽生え(一九八〇年代)

唐山書店 明目書社、結構群 水木書苑

二、自分の声を上げる時代(一九九〇年代)

女書店 晶晶書庫 洪雅書房

三、台湾に根を下ろす書店たち (一九九〇年代)

台湾e店、台湾本土文化書局 春成書店 天母書廬

 

【地方書店漫遊五、「じっとしていられない奴ら」 私の宜蘭書店考察ノート】

 

第五篇 書店における転換期

一、インターネット時代の到来(二〇〇〇年代)

舊香居 草祭二手書店 時光二手書店

二、独立書店の新生(二〇〇〇年代)

小小書房 有河book 凱風卡瑪兒童書店

三、捨てられぬ理想(二〇〇〇年代)

東海書苑 闊葉林書店 「草葉集」から「註書店」

 

【地方書店漫遊六、重慶南路書店街について 私の一風変わった独立書店の経験と夢】

本文試し読み

自分の声を上げる時代(一九九〇年代)

 

 戒厳令が解除された後、台湾における社会運動はますます盛んになった。一九九〇年の野百合学生運動(*99)は台湾の政治権力の構造を変えた。一方、九〇年代初め、台湾社会における様々な問題はまだ重要視されておらず、更に言えば認識すらされていない状況であった。第四原子力発電所反対運動について当時は、環境保護団体や社会運動家、野党議員、そして原発のある貢寮の住民のみの問題であるかのようであった。社会改革の声が高まっていくが、反社会的勢力の中から議員や議長が続々と当選し、警察の拷問による供述のみで、裁判官は証拠のないまま、死刑の判決を下すことができた。

 七〇年代に入ると女性の権利を主張する声が出はじめる。しかし「婦女新知基金會」(*100)が成立する八〇年代まで、台湾におけるジェンダー平等推進運動は常に軽視され、社会運動の中で訴えつづけるしか方法がなかった。そんな中で九〇年代に入ると、数人のフェミニストたちが中華圏で初のフェミニズムをテーマとした書店を開業。書店と書籍の出版を通し、フェミニズム運動の情熱を持続させることで、台湾におけるジェンダー運動が様々な形に発展していった。

 同じ条件の下に、LGBTの社会運動も九〇年代から始まった。「我們之間」や「同志工作坊」などの同性愛者団体も次々と設立され、同性愛者の権利を訴えた。雑誌『熱愛』の創刊により、LGBTのコーナーが書店の一角を占めることとなった。二十世紀末、中華圏初のLGB T書店が台湾で開業し、LGBTコミュニティーの重要な拠点の一つとなった。

 書店が社会運動に参加することや、社会運動の拠点になることは、九〇年代の幾つかの独立書店の開業の目的であったとも言える。九〇年代の末に「濁水渓より南の地域で一番活躍している本屋」と自称する書店が嘉義で開

業した。書店のオーナーは蒋渭水を目指すことを公言し、書店を通して人々に呼びかけ、様々な社会運動に積極的に参加し、地域の重要な文化的な存在となり、二〇一〇年代、多くの新しい書店の模範となった。

 

*99 一九九〇年三月に起きた学生運動。三月学生運動とも言われる。

*100 一九八二年に設立された台湾初の女性人権NGO「婦女新知會」を前身とする。一九八七年に婦女新知基金會と改名。

 

 

女書店 文:楊瑛瑛

 

 女書店は一九九四年四月十七日に開業した、中華圏初のフェミニズム専門書店である。「女性による、女性のための、女性に関する」書籍を提供し、近年では「女性に関する」テーマから更に「ジェンダーに関する」テーマへと扱う範囲を広げている。

 一九八七年の戒厳令解除後の台湾では、社会運動が盛んになり、女性運動は特に盛り上がった。女性運動家たちによって始められた女書店の方針は明確であった。九〇年代の台湾北部の文化活動にはジェンダーに関するテーマが欠けており、女書店の出現はちょうど女性運動の文化的活動の起爆剤となった。フェミニズム関連書籍、雑誌、映像作品を取り扱うのみならず、女性をテーマとして、「女性の伝記」、「女性の音楽」、「女性と旅」、「女性と映像」などの講演も不定期ながら開催した。また女性作家と読者が交流できる小さな座談会や、フェミニズム講座なども開催した。大学内外のジェンダー問題を研究する者にとって、女書店は知識の宝庫であった。

 書店は利益率が低い商売である。まして社会運動家が開業した独立書店が、財閥のバックアップもなく、大型書店チェーンとネット書店に挟まれながら存続するのは容易なことではない。一九九六年には、女書店の経営のもう一つの柱として出版部門を設立した。出版部が初めて出した書籍はケイト・ショパン(Kate Chopin)の『目覚め』(The Awakening)であった。台湾の名高い女性運動団体「婦女新知基金會」の英語名(The Awakening Foundation)と同名だ。この作品の原書は「出版当時は禁書と見なされていたが、女性運動によって人々に知られることとなり、女性が世界に対抗する勇気の象徴になった」。一九九六年三月八日の国際女性デーに、女書店がこの本を出版することには実に特別な意義があったのである。その他、国内十名の女性学の学者を招いて共同で執筆した『フェミニズムの理論と流派』、そして一九九九年に出版した『フェミニズムの古典』は、発売後すぐに各大学のジェンダー授業の指定教科書となった。これらの書籍はフェミニズムの学派を系統的に紹介し、台湾での女性運動史をも扱い、世界共通のフェミニズム理論と台湾における女性運動とを融合したのである。「女書店文化」は台湾唯一のフェミニズム専門の出版社であり、出版した書籍は百冊以上にのぼる。

 二十年以上の歴史を有する女書店は、何とか帳尻を合わせながら続けられてきた。二〇〇三年、一度は廃業することを株主会議で決定したが、廃業の発表後、数多くの友人たちが廃業を惜しみ、援助を呼びかけ、若者も次々と参画したことで、今日まで存続してきた。経営方針を調整しながらも、政府の補助金を申請し、平等を訴える各ジェンダー団体とも連携するなど、様々な方法で財源を確保し、財務上の苦境から脱しようとしている。

 ラディカル、レスビアン書店、マイナーな市場……人々の女書店に対する見方は様々である。こういった偏った解釈や印象について、女書店は特に応じることはない。また応じる必要もないと考えている。それは同性愛者や社会運動家たちこそが女書店にとって、常に一番強い味方であるからだ。

 女書店はただの書店ではなく、台湾女性運動史の一部であり、フェミニズムという戦場の文化拠点でもある。足元がおぼつかない時もあるが、いつも堂々と一歩一歩前進している。幸い、女書店には常に女性運動家やジェンダー平等を掲げる団体の支持と援助があり、だからこそ激しい市場競争の中でもめげずに、開業当初の初心を貫き、今日まで努力を続けてきた。最後に、鄭至慧(*101)の著作、『好事記』の中の一文を引用しておきたいと思う。「女書店が変わる、あるいはなくなる日が来るかも知れないが、それはきっと女書店の精神が、有形無形の形で伝承されていく時であると信じている」

 

注:この文章は「女性運動の文化基地」(『聽見書店的聲音Vol.1』)から書き直したものです。

 

*101  女書店の創業者の一人で責任者。二〇〇九年没。

 

 

晶晶書庫

 

 一九九九年、台北市羅斯福路と汀洲路の間の路地に、台湾初のLGBT書店が誕生した。その名は「晶晶書庫」。主にLGBT関連の書籍、音楽映像作品、生活用品を取り扱っている。二〇〇〇年「晶晶カフェ」を開業したが、二〇〇三年に閉店。二〇〇一年「晶晶画廊」を開き、その後書店と合併した。

 九〇年代のLGBT運動とその他、社会運動への尽力により、二十世紀末の台湾では、LG BTの個人の自由に対してある程度の「包容力」はあったが、法律と人権保障の面では、国家の対応は明らかに時代遅れであった。九〇年代末期になっても、警察によるLGBTの集会会場に対する悪質な取り締まりは数多くあった。LGBTの結婚、遺産相続、入院中の面会や同意書の署名権などについても、法律では保障されていない。

 LGBT問題は依然として社会から受け入れられておらず、LGBTに対するヘイトスピーチもよく耳にする。公共空間でLGBTを排除する意識は未だに根強い。特に八〇年代にAIDSの症例が初めて発見されると、感染者にゲイが多かったため、台湾社会にもホモフォビア(同性愛嫌悪)の風潮が現れた。このような社会状況の中、カミングアウトした同性愛者として、また九〇年代に「LGBT空間行動聯盟」などLGBT活動にも参加していた頼正哲は、「LGBTフレンドリー空間」を創るため、海外のLGBT書店を参考に、LGBTをメインテーマとし、ジェンダーやフェミニズムのジャンルも取り入れた複合書店を開くことを決めた。共同経営者を見つけ、そして晶晶書庫が誕生した。

 晶晶書庫が開業してまもなく、マスコミの注目を浴びたが、カフェや画廊の設立に伴い、保守派からの非難も受けた。近隣住民や出所すら分からない反発の声は絶えなかった。しかし晶晶書庫は怯むことなく、「LGBTレインボーコミュニティー」の理念を持ち、あえて地域の人々と話し合ってきた。これも実は一種の教育であり、独立書店の重要な存在意義の一つでもある。

 晶晶書庫を通して、責任者の頼正哲は積極的にLGBTのために声を上げ続けた。LGBT関連の雑誌や書籍に寄稿し、講座や演説に参加した。またLGBTを差別する様々なイベントにも頼正哲は姿を現した。その他、晶晶書庫は二〇〇三年から始まったLGBTパレードの発起人の一人であり、以降毎年パレードに参加し、援助も行ってきた。しかしながら人権を主張するデモなどの活動は、政府からの弾圧を受けることが多かった。二〇〇三年、晶晶書庫が香港から仕入れた雑誌『蘭桂芳』が基隆の税関に取り押さえられ、警察と検察はこれを機に晶晶書庫を捜索、「わいせつ書物」を検挙し、刑法二百三十五条の「わいせつ罪」で晶晶書庫を起訴した(結果、有罪判決が下され、責任者は五十日の懲役を科された)。この件で、晶晶書庫は二〇〇六年に他の民間団体と連携し、「刑法235廃止聯盟」を設立し、最高裁判所へ憲法解釈を申請した。この申請では刑法二百三十五条を廃止させるには至らなかったが、「わいせつ」に対して明確な定義を与えることができ、警察も検察も自身の価値観で勝手に解釈することは不可能となった。

 十数年の発展を経て、晶晶書庫は台湾LGBT文化の重要なランドマークとなった。二〇一一年、頼正哲は責任者を辞任し、代わりに晶晶書庫はブランドマネージャー兼スポークスマンを立て、事業者として理念を社会に伝えていくことになった。いずれにせよ、台湾LGBT人権運動における晶晶書庫の貢献は大きく、またその存在もLGBT人権運動の重要なシンボルの一つである。

 

注:二〇〇八年高雄で誕生した十號書坊は、南台湾のLGBT書店である。晶晶書庫のようにLGBT関連書籍や音楽映像作品、生活用品を販売する他、二階には「陽光酷兒中心」(陽光クィアセンター)というチャリティーイベント会場があり、カウンセリング、懇親会、プロモーションインベントなどに活用されている。南台湾LGBTの重要な活動拠点である。

 

 

 

洪雅書房

 

 一九九九年、二十歳そこそこの若者が、嘉義の市場に十坪未満の小さな書店を開いた。書店を始めた理由は、子供の頃に本を買うお金がなかったことや、台湾の図書室に影響を受けたこと、そして九二一大地震(*102)によって芽生えた命の衝動からくるものであった。しかし当初、この若者は社会運動や選挙活動に積極的で、経営に専念することはなかった。開業して三年後には「台南店」をオープンさせたが三年ほどで閉店した。そこでようやく彼は本格的に書店の経営に乗り出し、没頭することとなった。二〇〇五年には書店を阿里山森林鉄道の近くの長榮街に移し、嘉義地区における重要な独立書店となった。

 洪雅書房は「濁水渓以南で一番活躍している社会運動書店」と言われている。この若者の名は余國信。店を始めたのは二十一歳の時であった。

 商売という点から言えば、社会運動の立場を宣言するのは良いこととは言えない。しかし余國信は気にしない。例えば映画監督を招いての映画上映と座談会、文学、歴史といったテーマの講演、農業や生態保護に関する討論会、演劇や歌のパフォーマンスなどのイベントを毎週水曜日に開催する。様々な催しから色んな社会運動の論題を広める。他の団体と共同で玉山旅社や嘉義税務出張所などの古い家屋の保存運動や、湖山ダム建設反対者を集めて抗議活動も起こした。近年の「海峡両岸サービス貿易協定反対運動」や「原発ゼロ」などの活動にも、洪雅書房からの呼びかけがあった。余國信によると、洪雅書房は一年に平均して少なくとも一回は大型バスを貸し切り、環境や文化に関するデモに参加している。これは書店の空間を通して社会運動を実践する経営形態であり、政府に反対する活動拠点としての書店でもある。

 開業当初の洪雅書房は、原住民と環境保全の二つの専門コーナーのみであったが、その後、台湾文学、文化思想、書店巡り、平埔族、日本統治時代の歴史などの専門コーナーを増設した。漫画や絵本コーナーもあり、フローリングの床とソファがある空間でお客さんは気楽に本が読める。会議や打ち合わせのできるテーブルも備えている。元々は倉庫だった地下室には本を陳列し、会議もできる開放的な空間に整備された。毅然とした態度、理想へのこだわり、社会運動に対する意識を持って、余國信は選書などの様々な作業に携わっている。本を仕入れる基準は様々である。時には本の内容、作者、立場、時には講演者や読者の推薦。いずれにせよ、書店は知識人の社会的な実践の場であってほしいと余国信は考えている。どんな本も実践を促す可能性を秘めているため、テーマを決め、それに沿った書籍の選書をし、陳列することは洪雅書房にとって重要な仕事である。

 近年、洪雅書房は有機農法と自然農法を広めることに力を入れている。講座や体験活動の開催以外に、「本屋から畑へ」と読者に呼びかけ、「秀明自然農法」に倣い、米の栽培を十年以上行っている。米作りに対して余国信は、稲作は自家採種、育苗、人力での田植え、畑の環境管理、人力での天日干し、精米、包装、販売などの一連の作業だけではなく、農業、農民、農村と社会との関係を積極的に探究する方法でもあると考えている。「畑仕事」だけではなく、「文化」への実践過程でもあるのだ。

 嘉義という土地で十七年、八百回以上の講座やイベントを開催し、その鮮明な社会運動者としてのイメージも相まって、洪雅書房は数多くの若者にとって「聖地」のような場所である。独立書店の発展と歴史から見ても、洪雅書房は新世代の独立書店の重要な模範である。「一番活躍している社会運動書店」、洪雅書房はまさにその名の通りである。

 

注:この文章は「細説洪雅書房」(『聽見書店的聲音Vol.1』)から書き直したものです。

 

*102 一九九九年九月二十一日、台湾中部で起こったマグニチュード七・七の大地震。

その他、近隣の書店やwebショップでも購入、取り寄せが可能です。