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【試し読み】『台湾書店百年の物語』(百万民族大移動の哀歌(一九四〇年代))

『台湾書店百年の物語 書店から見える台湾』

編著:台湾書店独立文化協会

翻訳:フォルモサ書院(郭雅暉・永井一広)

より。

 

「百万民族大移動の哀歌(一九四〇年代)・世界書局、商務印書館、正中書局、中華書局」部分の本文を公開いたします。

該当頁:60~66

 

台湾書店 百年の物語〜書店から見える台湾

原題:台湾書店歴史漫歩

編著:台灣独立書店文化協會

翻訳:フォルモサ書院(郭雅暉・永井一広)

装画:花松あゆみ

装丁・組版:中村圭佑

出版:エイチアンドエスカンパニー(H.A.B)

本体価格:未定

判型:A5判変形(210☓135mm),256頁

デザイン:ソフト上製

ISBN:9784990759698 Cコード:0022

本体:2200円+税

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書店と社会は相互に影響し合いながら変化していく。一九一〇年代から二〇一〇年代まで。各年代の代表的な書店から描く台湾文化の百年史。

「現在のわたしたちにとって、将来どのような書店が出現するかを予想するのは難しいことだろう。しかし今まで存在していた、あるいは今でも存在している書店を歴史的な観点から眺めることで、書店、特に実店舗の書店が社会にどのような影響を与えているのか、私たちも読者も更に詳しく知ることができるはずだ。そして書店、特に独立書店は本の販売以外に、この社会にどんなものを創造できるのかについても!」(本文より)

本書目次

第一篇 日本統治時代の書店

一 近代的書店の黎明期

新高堂 瑞成書局 蘭記書局

二、文化協会時代(一九二〇年代)

文化書局、国際書局 中央書局 興文齋

三、飛躍する時代の書店(一九三〇年代)

鴻儒堂 大陸書店 日光堂(三民書局)

 

【地方書店漫遊一、高雄の独立書店についての思い出】

 

第二編 言論統制の時代

一、百万民族大移動の哀歌(一九四〇年代)

世界書局、商務印書館、正中書局、中華書局 大同書局 牯嶺街の露店古本屋

二、ゆっくり歩き出す時代(一九五〇年代)

三民書局 南方書局 周夢蝶の露店

三、海賊版王国となってしまった時代(一九六〇年代)

敦煌書局 文星書店 長榮書局(志文出版社)

 

【地方書店漫遊二、風が吹く軒で書物を広げて読めば、古き道が私の顔を照らしてくれる。台南中正路商圏書店系図】

 

 

第三篇 書籍業界が飛躍する時代

一、書籍業界の盛んな年代(一九七〇年代)

遠景出版社(飛頁書餐廳) 南天書局 書林書店

二、百花繚乱の日々(一九七〇年代)

重慶南路の書店街 山民書局(豐原三民書局) 光華商場の古本屋

三、消費時代の到来(一九八〇年代~)

金石堂文化廣場とその他のチェーン店 誠品書店 瓊林書苑、古今集成、讀書人文化廣場、田納西書店

 

【地方書店漫遊三、書店散歩 台南篇】

【地方書店漫遊四、書店散歩 嘉義篇】

 

第四篇 独立の声

一、独立書店の芽生え(一九八〇年代)

唐山書店 明目書社、結構群 水木書苑

二、自分の声を上げる時代(一九九〇年代)

女書店 晶晶書庫 洪雅書房

三、台湾に根を下ろす書店たち (一九九〇年代)

台湾e店、台湾本土文化書局 春成書店 天母書廬

 

【地方書店漫遊五、「じっとしていられない奴ら」 私の宜蘭書店考察ノート】

 

第五篇 書店における転換期

一、インターネット時代の到来(二〇〇〇年代)

舊香居 草祭二手書店 時光二手書店

二、独立書店の新生(二〇〇〇年代)

小小書房 有河book 凱風卡瑪兒童書店

三、捨てられぬ理想(二〇〇〇年代)

東海書苑 闊葉林書店 「草葉集」から「註書店」

 

【地方書店漫遊六、重慶南路書店街について 私の一風変わった独立書店の経験と夢】

本文試し読み

百万民族大移動の哀歌(一九四〇年代)

 

 一九四五年、日本が無条件降伏を受諾し、第二次世界大戦が終結した。中米英ソらの密約により、台湾の主権が中国に移った。その後、国共内戦が勃発、共産党が中国の統治権を制し、国民党は台湾に撤退する。国民党とともに膨大な数の各階級の中国人たちが台湾に移住した。これは歴史上では「百万民族の大移動」と言われている。

 実際には、この民族大移動には、国民党政府による台湾統治後に送還された日本人も含まれる。当時在台の日本人は約四十八万人(*1)。帰国時に許された所持金は千円のみであった。そのため台湾で不動産を購入し開業した日本人は、自分の事業や不動産を台湾人に安く譲る他なかった。その中には書店ももちろん含まれていた。多くの台湾人がこれをきっかけに書店の経営者となった。新高堂など有名な書店は台湾にやってきた国民党の官僚に引き渡され、民営の会社に移管された。数多くの本が古本業界に流れ込み、台北の牯嶺街を初めとする古本街の風景が形作られていった。

 ただし、「敵勢を根絶する」、「民族意識を強める」ため、新政府はすぐ台湾人の日本語の使用を禁止する(*2)ことに踏み切り、その後も日本語の書籍を大量に検閲した。当時日本語しかできない多くの台湾人にとっては、読める本がほとんどなくなってしまい、古本の売買で経営を維持する書店も少なくなかった。新生中国語書籍の市場は主に上海からの輸入に頼っていたが、戦後の紙不足とインフレーションの影響に加えて、元々輸送が困難なこともあり書籍は高価格になり、ますます読者の手に届かないものとなっていた。唯一学生にとって必要な教科書だけが書籍市場の主力になり、当時、中国の幾つかの大きな出版社が台湾に進出することを決めた。その後国民党が台湾に撤退し、これら出版社の本社も台湾に移ってきた。戦後初期の台湾書店業界は、これらの出版社の店舗が支えていた。

 

世界書局、商務印書館、正中書局、中華書局

 

 第二次世界大戦後、日本植民地政権が撤退し、台湾の主権は国民党政府が引き継いだ。そこで中国大陸で長年経営し、基盤のある商務印書館や中華書局など幾つかの大きな出版社が政治状況の変化に伴い、海を渡って台湾に支店を開いた。まず一九四五年、中華書局が率先して台湾で支店を開いた。本店は上海にあるため、大陸からの商品は上海本店で販売している書籍や文房具などがメインであった。

 時を待たずして中国において内戦が再開、国民党政府は台湾への撤退を余儀なくされた。世界書局と正中書局は情勢を考慮し、国民党政府と共に台湾へ移り、「暫定」的に、重慶南路に拠点を構えた。先に台湾で支店を開いた商務、中華を含め、当時は「四大書局」と呼ばれていた。

 台湾を中華文化基地にしたいという思いが人々に浸透していたこともあり、台湾商務印書館の経営を担当していた商務印書館の王雲五は、有志らと共に「中華文化復興運動」を起こし、陳立夫が設立した国民党党営事業の正中書局も支持する事を表明した。各書店がその鶴の一声に応じて様々な形でその活動に参加した。台湾商務印書館が中国の古典や学術名著を改めて整理、出版し、大作の文淵閣本『四庫全書』が発売された。正中書局が『國學彙纂』を再版し、「中華文化復興叢書」も編集出版した。その他、中華書局が『四部備要』を出版、世界書局が『永樂大典』をまとめるなど、各書店が中華文化に敬意を表し、新たに整理、編集、纏めて出版することで、学生たちに恩恵をもたらした。この時期の出版業は盛んで、例えば世界書局は三年連続で二日に一冊のペースで本を出版。台湾の出版業界に驚きと活力を与え続けた。

 その他、国家の教育発展の需要に応じるため、主な出版方針は知識中心の参考図書であり、多くの書店も政府が許可した教科書を編集出版していた。また正音国語運動(*3)を推進するには辞典も必要であった。翻訳小説は世界と繋がる架け橋となるので欠かせなかった。商務印書館の「人人文庫」、中華書局の「伝記の家」、世界書局の「中国学術名著」、そして各専攻分野で必要な専門書籍の編集翻訳など、様々な出版物が党国意識(*4)の中の中華文化を反映し、出版史に華麗な一ページを記した。

 この頃は書店や出版業界が盛んな時期で、海賊版も横行していたが、堂々としたものであった。というのも「動員反乱鎮定時期臨時条項」(*5)の施行により、共産党政権下の中国大陸の著作権が保護されていなかったためであった。しかし時が過ぎ、状況は変わり、新しい時代の波に呑みこまれるのではないかと感じた百年以上の歴史をもつ老舗書店は、「西洋化」の道を歩み始めた。台湾商務印書館が『OPENシリーズ』、世界書局が『時代彗星シリーズ』、正中書局が『軽経典シリーズ』と『新思潮シリーズ』、中華書局が『中華新知シリーズ』を出版した。新しい競争環境の中で難局を乗り切るために書籍ジャンルの転換を図ったのだ。

 しかし、時間の流れに抗うことはできず、中華書局の店舗は閉店し、台湾商務印書館のビルは看板のみが残り、繁華街から離れた所に新店舗を開いた。いくつかある残りの老舗はあと何年続くことか。同じ時期の啟明書局、その後の三民書局などもみなこの地に集まり、点在する様々な本と新聞販売の露店を含め、一時期、台湾出版物の重要な集散地となった。一九八〇年代に突入し、書店のチェーン化が台頭した後、ネット書店が盛んになるまで、台北市重慶南路は台湾最大の書店街で、百軒以上の書店があったと言われている。また、政治経済の中心地にあることで、政府の教育方針と民族政策の影響も受けた。

 商務印書館は中国共産党が大陸の政権を取った後に「台湾商務印書館」に改名した。他の書局も次々と大陸の本店と一線を画し、関係を断ち切った。あの政権分断の時代の中では、双方の政権の正統性を代弁することでもあり、また保身のためでもあったのだろう。

 

*1:在台および帰国者の人数については資料により差がある。

*2:一九四六年九月に中学での日本語の使用を禁止。十月には新聞、雑誌の日本語の使用を禁止した。一九四七年には各学校での教職員、学生に対し日本語禁止令も出された。

*3:中華民国の公用語である国語(中国語)の普及と標準化を推し進めた運動。

*4:一党制による政治体制。ここでは国民党が統治する国家、国民党による一党独裁体制のこと。

*5:一九四八年に実施された中華民国憲法の付属条項で、総統の権力強化を図ったもの。「臨時」であったものの一九九一年まで存続した。これにより蒋介石の独裁体制が可能となったとされる。

その他、近隣の書店やwebショップでも購入、取り寄せが可能です。