(研究ノオト)それが渡世人の楽しいところよ
『山學ノオト2(二〇二〇)』より、青木真兵さんのエッセイ「それが渡世人の楽しいところよ」を公開します。二〇二〇年に一気見した「寅さん」と就労支援の仕事を軸に、彼岸と此岸、二つの世界について考察します。『山學ノオト』(1)(2)や、著者既刊『彼岸の図書館』『手づくりのアジール』ともどもお楽しみください。
二〇二〇年は原理が統一された年だった。そんな気がしている。
ここで言う原理とは、社会を動かすルールのようなものだ。ルールは一つの方が良いような気がするかもしれないが、実は人類はもともと二つの原理のなかで生きてきた。ハレとケ、生と死、此岸と彼岸。人が言葉を使い、集団を構成している以上、どうしても世界を二つに分けて説明する必要があったのだろう。
二〇二〇年は新型コロナウィルス感染予防のため、「不要不急」が叫ばれた。社会において「必要かつ急を要することだけ」が求められた結果、「万人にとって必要なこと」しか許容されなくなってしまった。なんとなく食べてみたい、なんとなく会って話したい、なんとなくいつもと違う道で帰りたい。このような個人的で直感的な感覚は、「万人にとって必要なこと」にとって替わられてしまう。本来人は、友人、家族、同僚など、さまざまな人たちとの関わり合いのなかで生きている。関わり合いは、僕たちの身に「万人」という強い直射日光が降り注ぐのを防いでくれる、オゾン層のようなものだ。「万人」というバーチャルな存在は、実態がないだけに、強い刺激となって社会に影響を与えてしまうのだ。
「不要不急」の号令によって、関わり合いの機会は大幅に少なくなった。結果的に「万人」の原理だけが社会を覆ったことは、僕たちの生活をとても息苦しく、窮屈なものにした。この経験は、人が生きていく上で「二つの原理」が不可欠なことを教えてくれた。この「二つの原理」の間には、個人と万人の間にさまざまな中間的集団があるように、ゆるやかな連続性が存在する。生と死、公と私、男と女、親と息子、資本主義と社会主義、都市と村なども、二つのうちのどちらかを選ばねばならないわけではない。「二つの原理」を想定することで、その間にある選択肢がより具体的になり、生きる上での自由度を上げる効果があるのだ。
普段、僕は障害者の就労支援を行っている。社会では健常者と障害者という区別が存在するが、もちろんこの間にも連続性は存在する。健常者と言われる人の中にも、社会と軋轢を生んでしまう「障害」は存在するし、障害者でも社会が変われば「障害」を感じずに済む場合がある。つまり「障害」は、人と社会の関係によって発生するのだ。就労支援はその折り合いをつけるサポートをする仕事だ。
就職するために性格を大きく矯正しなければならなかったり、本人だけが「障害」を乗り越えなくてはならない状況は、根本的に間違っている。とはいえ、本人はあるがままでよく、社会の側が一〇〇%悪いのだから何もしなくても良いわけではない。人も誰しも、限定された時代、国、地域、家族のなかに生きているし、社会は常に未完成だ。この現状は誰もが受け入れざるを得ない。一方で、僕たち自身を含む社会の側も、できるだけ多くの人が「障害」を感じないで済むように、制度や文化を変えていく努力は不可欠だ。
僕が主に携わっている就労移行支援という福祉サービスは、期限が二年間と決まっている。この期間に行うサービスの内容を、僕は「福祉期」と「就労期」の二つに分けて考えている。もちろんこの間にも連続性はあるし、一年ずつ明確に分けられるわけでもない。しかし就労支援にはこの「二つの原理」が必要だし、ひいては人間が社会を生きていく上で、とても重要なテーマだと思っている。
まず「福祉期」とは、その人の存在が絶対的に認められる時期である。障害を抱える方々は、人付き合いがうまくいかなかったり、仕事でミスばかりしてしまったりして、社会や集団から排除される「負の経験」をしている場合がとても多い。だから就労移行支援では、最初は「失敗をしても排除されない経験」ができる場を提供している。だから「失敗をしても排除されない経験」がより多くできる時期のことを「福祉期」と呼んでいるのだ。
人が生きていく上で、この「福祉期」はとても大切だ。失敗しても成功しても、役に立とうが立つまいが、本来はその人が存在する理由とは全く関係がない。このような地平にまず立たないと、人はできるかできないか分からないことにチャレンジしようとは思わない。しかし現代社会では、役に立たないと生きている意味がないという言説が飛び交っている。特に景気が悪くなり、社会全体が貧しくなってきたことが影響し、経済活動ができない人に対しての風当たりがとても強くなってきているのを感じる。これは本当に良くない風潮だ。
「福祉期」を経て心身が安定し、社会関係のなかで「危険」を感じなくなって初めて、「就労期」に入ることができる。「就労期」では、自らの労働力によって社会とつながる方法を模索することになる。つまり「戦力になる方法」を身につけていくのだ。そのためには自分が好きなことよりも、向いていることに対して意識を向ける必要がある。もちろん好きなことと向いていることが同じであれば良いが、そうではないことが多々ある。その場合、「就労期」においては向いていること、つまり適性があることを選択し、「無理せず続けること」を目指す。賃金を稼いだり、生産物を生み出すことは、一回だけできれば良いわけではない。継続することが大切なのだ。
このように就労移行支援は、「福祉期」と「就労期」という「二つの原理」の連続性のなかで成り立っている。人間は理由などなくても存在して良いという「福祉期」と、社会のなかで役に立つことで自分の存在をより明確にできる「就労期」。どちらかだけでも人は苦しくなってしまうだろう。健常者と言われる人は、知らずしらず「就労期」のなかだけで生きていることに、気がついているだろうか。だから仕事ができなくなってしまうと、自分は無意味なのではないか、生きている意味などないのではないかと思ってしまう。しかし、そもそもは生きることに理由など必要ないのだ。「二つの原理」で生きていると、この地平に立ち返ることができる。
「二つの原理」を行ったり来たりすることのヒントは、映画「男はつらいよ」に学ぶことができる。主人公の車寅次郎(以下、寅さん)は、中学校の時に家を飛び出したきり家に戻らず、映画第一作において約二〇年ぶりに故郷・葛飾柴又に帰ってくる。寅さんは家に帰らなかった間、日本の各地で「売」をするテキ屋稼業を営んでいた。約二五年以上続く「男はつらいよ」シリーズは、寅さんが家に帰ってきては喧嘩をし、また日本全国で「売」をすることでさまざまな人と出会い、また故郷に帰ってくることが物語の骨子だ。そんな寅さんの有名な台詞に、「そこが渡世人のつらいところよ」というものがある。「渡世人」とは何か。かつて東京大学史料編纂所に勤めた歴史学者・山本博文氏は、以下のように述べる。
通常の商売などに従事しないで生活を送る者ということで、「無宿渡世人」は各地の博徒の親分のもとを渡り歩き、博打をしたり小遣い銭をもらったりして生活した博徒を指すが、実は、こうした使い方は江戸時代にはなかった。博徒は多くが無宿であり、「無宿」は誇るべきことでもなかったから、わざわざ自分から「無宿渡世人」ということもなかったのである。(「時代劇用語指南」『imidas』https://imidas.jp/jidaigeki/detail/L-57-141-08-04-G252.htmlより)
「渡世人」とは、「通常の商売などに従事しないで生活を送る者」という意味だという。確かに寅さんは、生活のために各地で「売」をする露天商・テキ屋という意味合いで渡世人という言葉を使っている。さらに「渡世」には「生活」という意味もあり、「生きていく」という意味もあった。このように、「渡世」にはさまざまな意味が込められている。今回、さらに僕はもうひとつの意味を付与したい。それが「二つの原理を行ったり来たりしている人」という意味だ。
寅さんは日本全国で「売」をしている間、困っている人を助けたり、食事をご馳走してあげたり、最終的には「困ったことがあったら、いつでもおいで」と、東京の実家の団子屋さんの名を告げて別れる。テキヤ稼業を営む寅さんは自分の手で賃金を稼ぎ、自分の力で生きている(たまに無銭飲食や宿泊をして、妹のさくらが旅先に呼び出されるのだが)。つまり自分の労働力によって社会とつながっている実感を得ているからこそ、「困ったことがあったら、いつでもおいで」と福祉的な振る舞いができるのだ。寅さんが活き活きと「売」ができるのは、就労支援の用語でいうと、彼自身のなかで福祉と就労の「二つの原理」がうまく噛み合って作動しているからだ。
しかし実家ではどうだろうか。旅先で寅さんと出会い、東京にやってきた客人たちは、旅先の寅さんとはまるで違うグータラでトンチンカンな「三枚目」と出会うことになる。これは日本の各地では寅さんの中で福祉と就労の「二つの原理」がうまく作動していたのが、実家に帰ってきた途端、福祉の原理だけの世界に適応したことを意味する。寅さんはおいちゃんと喧嘩をしてどんなに激怒しても、二度と家に入れなくなることはない。つまり「何度でも失敗が許されている」のだ。寅さんが旅先で自らの力によって社会とつながり、困っている人を救う「福祉力」を発揮できるのは、実家で福祉的空気を胸いっぱい吸い込んでいるからなのだ。
例えば僕の場合、ルチャ・リブロの活動を行いながら、社会福祉法人に勤務している。この関係は福祉と就労という「二つの原理」で説明できる。自宅を開き、別に誰のためにやっているわけではないルチャ・リブロ活動は、僕たちの自己満足以外の何物でもない。しかしルチャ・リブロという場は、僕たちにとって「何度でも失敗が許されている」場だ。言い換えれば、ルチャ・リブロは僕たちの生を無条件で認めてくれているのだ。僕たちにとってルチャ・リブロは非常に福祉的な場だし、そのことについてとても満足している。僕たちはこの自己満足を「おすそ分け」しているのだ。
ルチャ・リブロが僕の存在を認めてくれるからこそ、社会福祉法人の戦力となって働くことができる。僕がルチャ・リブロ活動と法人職員を往復している関係は、福祉期と就労期を「行ったり来たりしながら」生きている状態に似ていると言ったのは、こういう意味だ。大前提として、人は存在するだけで価値があるのだけれども、同時に労働力という形で集団に貢献することで、また違った価値を創出することができる。価値の基準は一つではない。その価値を規定する原理を二つ持っておくこと。それが現代の渡世人だ。
そして現代の渡世人は、この「二つの原理」をビーカーに入れた原液が混ざらないように遠ざけておくのではなく、あえて混ぜ合わせてしまうのだ。まずは「二つの原理」を生活の中に確保すること。そしてこの二つが混ざり合った時、物語は始まる。
そこが渡世人の楽しいところよ。(真)
著:青木真兵
初出:『山學ノオト2(二〇二〇)』(青木真兵、青木海青子・エイチアンドエスカンパニー)